大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和47年(行コ)22号 判決 1974年5月08日

控訴人(原告) 伊藤吉春

被控訴人(被告) 東京都教育委員会

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「「原判決を取り消す。被控訴人が控訴人に対して昭和三四年一〇月一四日にした免職処分を取り消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠関係は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

控訴代理人は、次のとおり述べた。

一、本件勤評規則および職務命令の違法性

1  教育基本法第一〇条違反について

(一)  教育基本法は、形式的にみれば被控訴人の指摘するとおり、他の法律と同位の国法形式に属することはいうまでもないが、その立法趣旨や規定の内容からいつて、同法は、単なる教育法規ではなく、その根本法、いわば教育憲法的な性格を有していることは明らかである。従つて同法と他の一般教育法規とを全く同列において論ずることは正しくない。少くとも一般教育法規の解釈に当つては、同法の趣旨と合致する方向で解釈がなされることを要するといわなければならない。ところで同法第一〇条は、教育に対する不当な支配の禁止と直接的教育責任という定め方によつて教師の教育権の独立を保障していると解すべきであり、そして教育行政は、教育内容以外の、つまり教育内容を実現するための外的諸条件を整備確立することを任務とし、教育内容へ介入してはならないとの原則をうちたてたものと解すべきである。もつとも教育内容に関しても条件整備行政が考えられないわけではなく、権力的な介入は大綱的基準立法の範囲内にとどめ、その余は教師の教育権の独立に対応して、指導助言権を適切かつ有効に行使すれば、極めて大きな効果をあげうる。

従つて教師の教育活動にかかわる事項についての評定をその中心的部分とする本件勤評規則は、教育行政の限界を逸脱し、教師の教育権の独立を侵害するものであつて、教育基本法第一〇条に違反するものといわなければならない。即ち、勤務評定書の評定項目中の学級経営、学習指導、生活指導、研究修養、教育愛、指導力、責任感等々は、各々の観察内容と相まつて、いずれも教師の教育活動と不可分に結びついている。このような項目について評定を行なおうとすれば、教師の教育活動を常に監視し、そのうえで自らの教育観等によつて一義的な価値判断を下すほかはない。本件勤評規則は、教師の教育活動を観察、評定の対象としている点で、前記法条に違反し、従つて右規則およびこれに基いてなされた職務命令はいずれも無効である。

(二)  被控訴人は、地方公務員法(以下地公法という。)第四〇条、地教行法第四六条の規定をもつて教育基本法第一〇条の特別法かつ後法にあたるから、教育基本法第一〇条は、右規定の限度で効力を失つたものと主張するが、これは、教育基本法の性格を解しない形式的議論と評さなければならない。一般教育法は、教育基本法それに憲法を頂点とする教育法体系のなかに位置づけられるのであつて、その制定および解釈にあたつては教育基本法の規定と整合的であることが要請されるのである。従つて教員に対する勤務評定についていえば、地公法および地教行法の各規定それ自体は、いかなる内容をもつて評定を行なうかについては触れていないが、少くとも教育基本法第一〇条の観点からは、同条の趣旨に反しない内容の勤務評定であることを要する。そのことから当然教育行政機関が定立する勤評規則についても、同条の趣旨に反しない内容のものでなければならないのである。

さらに被控訴人は、指導助言権行使の前提として勤務評定は不可欠である旨主張する。たしかに指導助言権の適切な行使のためには教師の現実の教育活動を観察することは重要な意味をもつているが、観察の方法如何では教師の教育活動を規制することになりかねない。従つて被控訴人の主張は、指導助言のための観察と人事管理のための観察とを故意に混同した議論といわなければならない。

2  校長に対する勤評実施の職務命令の違法

(一)  被控訴人の勤評実施権不存在

地公法第四〇条第一項は、「任命権者は職員の執務について定期的に勤務成績の評定を行い、その評定の結果に応じた措置をとらなければならない。」定めているが、地教行法第四六条は、「県費負担教職員の勤務成績の評定は、地方公務員法第四十条第一項の規定にかかわらず、都道府県委員会の計画の下に、市町村委員会が行うものとする。」と定める、しかるに被控訴人は、東京都については地方自治法第二八一条第二項第一号但書、同条第四項の規定により、区立学校教職員の身分取扱事務が特別区の団体事務から除かれ、都の団体事務とされ、教職員の勤務評定事務は前記事務に含まれるから、被控訴人にその実施権限があると主張する。

しかしながら、教育行政に関して地方自治法の特別法である地教行法は、勤評についての実施権限を市町村教育委員会に与えているから、東京都の特別区も同様右実施権限を有するというべきである。即ち、地教行法第四六条により都教育委員会が有する教職員の身分取扱いのうち、勤務評定については特別区教育委員会がその権限を有するものと解されることは、右規定から当然である。しかも教職員に対する服務監督権が特別区教育委員会に存することからみて、同委員会が勤評を実施することは決して不合理ではない。地方自治法第二八一条を根拠とする考え方は、地方自治法と地教行法との関係を誤まつたものであり、許さるべきではない。してみれば被控訴人の本件勤評規定および教育長通達である勤評実施要領は、法律上の根拠に基かないものであり、特別区教育委員会の勤評実施権限を侵害するものであつて、違法無効というべきである。

(二)  校長の勤評実施権限の不存在

本件勤評規則によれば、校長が勤評実施の評定者として、所定の評定要素、観察要素について評定すべきことを明らかにしている(第五条第八、九条第一一条)。そして実施要領は、教育長、通達として公表され、しかも、その観察内容表の評定要素や観察要素は、教育内容、方法に関する細かい教育活動上の執務基準を設定したものにほかならない。校長の評定は、まさにこの具体的な執務基準の設定というべきである。

ところで学校教育法第二八条第三項は、校長は校務を掌り、所属職員を監督する、と定める。右にいう校務には、教師の教育権の独立を承認した場合には、教育内容、方法等教育課程管理は含まれない。この権限ないし権利は、教師もしくは教師集団(職員会議)に属するというべきである。従つて教育課程管理においては、校長による指揮監督、職務命令は存在しえない。また監督についても一般行政組織におけると同じような全面的な指揮監督とは異なり、教育方法、内容等教育課程に関する側面においては、指導助言をなしうるにとどまり、この面に関する限り校長と教師との間に上下関係はなく、指揮命令関係は存しない。校長が教育方法、内容に関する執務基準を設定する権限をもたないことはいうまでもない。そして前記の如く、校長の職務には教育課程管理に関する事項は含まれず、従つて校長は、かかる事項についての権限も職務上の義務も有しないのであるから、教師の教育内容、方法にわたる事項についての評定を中心的部分とする本件勤評規則に基いて所属職員(教諭、助教諭)に対して右の事項について勤評を行うことは、校長の職務の範囲外のものであり、行ないえないものであるといわなければならない。また、同様に校長は、教師の教育活動を監督する権限をもたない。しかるに勤評が予定する教師に対する相対評価、実質的な執務基準の設定は、右の原則に反するものである。従つて校長に対して勤評を命ずる勤評規則および実施要領は違法無効というほかはない。

3  職務命令の拘束力について

被控訴人は、職務命令はすべて一応適法の推定を受け、受命公務員を拘束する力を有し、受命公務員はこれに服従する義務ががあり、職務命令の要件の欠缺が重大かつ明白な場合にのみこれを拒否することができるにすぎず、換言すれば、公務員は命令の内容につき実質的審査権を有しない旨を主張するが、右のいわゆる職務命令の公定力の主張は理由がない。

もつとも職務命令について、右のような拘束力を肯定するのが学界の多数説であり、これを否定するのは少数である。右公定力を肯定する説は、国家的事務の統一的能率的な執行上の必要、行政がよく機能しうるための必要、公務員制度における組織的一体性に服従義務の根拠を求め、職務命令が違法な場合については、法令服従義務と職務命令服従義務との衝突、矛盾の調整解決として、職務命令の違法が明白あるいは重大かつ明白な場合には従う義務がないとして、そうでない場合には従う義務があるとする。

しかしながら、公定力説が法治主義の原則を侵害してまで行政の統一性、能率性を保障しようというのは本末転倒であり、行政上の一体性、責任体制も適法な職務命令によつて維持するというべきである。

(1)  法令服従義務は、法律による行政の原理、即ち法治主義に基く義務である。法治主義は、憲法の下における法治国家の原理であることは、いまさらいうまでもない。そうだとすれば、法令服従義務は、憲法的価値に奉仕する義務であるか、一方職務命令服従義務は、行政的価値に奉仕するものである。勿論われわれも行政機能の保障の意義を決して軽視するわけではないが、憲法的価値との優劣は明らかである。

ところで公定力説は、この二つの義務の優劣を明らかにしない点に誤りがあるのであるが、そればかりか実際は職務命令服従義務を優位におく考え方に立つているのである。何故ならば、職務命令の違法が明白な場合ということは実際には殆どありえず、二つの義務が衝突するのは、違法性が明白といえない場合である。このような場合に、実質的審査権を認めず、職務命令に服従すべきだとすることは、職務命令服従義務を優位におくことにほかならないからである。

(2)  一般には、職務命令の違法性が司法審査の対象となりうるのは、職員が職務命令違反を理由に懲戒処分等の不利益処分を受け、その処分が取消訴訟の対象とされた場合だけである。公定力を認める考え方によると、明白な違法の場合を除いては職務命令は違法とされないから、殆んどありえない場合を除いては職務の命令違法性は、司法審査の対象となることはない。このことは、違法な職務命令が常に確定的に効力を与えられることになるのであるが、実定法上違法な職務命令にこのような強い効力を認める直接の規定も、またこれを前提とした規定もなければ、そのような必要性も合理性もない。

一方否定説をとつた場合、職務命令が違法であれば、懲戒処分は、公平審査あるいは取消訴訟により取り消されることになるが、それまで懲戒処分は公定力を有するから、公務員は職務命令が違法であることに余程の目信をもたない限り、命令を拒否することは余りおこりえないことである。また、任命権者は、命令を拒否した公務員を免職あるいは配転して、他の公務員をその後に任命して、これに命令を執行させることもできる。従つて否定説をとつても行政の一体性、能率性にはそれ程大きな影響がないのが実態である。

(3)  われわれも行政の一体性という機能性の要求を認めないわけではない。それは否定説をとつてもこのようにかなりの程度に保障されるのであるから、法治主義の要請と衝突する場合には、この程度の保障があれば十分であろうと思われる。もともと職務命令服従義務は、機能的な要請に基くものであるから、右のような否定説の実際の機能も十分に考慮に入れるに値する筈である。

二、処分権の濫用

1、控訴人は、すでに本件職務命令に従う義務のないことは明らかにしてきたのであるが、この点をさておいても、控訴人の本件行動に対して懲戒免職処分をもつてしたことは、著るしく裁量判断を誤まつたものであつて、処分権の濫用にあたり、この点においても本件処分は無効である。ここで特に強調してやまないのは、原審以来繰り返えし述べてきたように、控訴人の行動は、教育者の良心に基き、教育を守ろうとしたものであり、しかもその主張は教育界の支配的な見解をもとにしているということである。以下控訴人の動機目的の正当性、主張の客観的妥当性、行動の相当性ならびに校長の地位の特殊性について述べ、これらの点を考えれば、控訴人は懲戒免職に値しないことが明らかにする。

(一)  控訴人の行動の動機、目的の正当性

控訴人の職務命令違反の行動は、あくまでも教育者として良心に基く動機、目的から出発している。勤評が民主教育を不当に支配しようとするものである以上、また少くともそうした危険が感じられ、かつそう信じることに相当の根拠がある以上、百歩譲つて仮りに提出義務があつたとしても、これに抵抗することは教育者の責務だといわなければならない。しかもそうした控訴人の動機、目的は、単なる一人よがりの主観的判断ではなく、客観的にも妥当性があつた。現実に日本教育学界のような権威ある学界がその政治性と反教育性、内容的技術的問題点などを指摘してこぞつて反対し、また日本の教師の圧倒的多数がかかる立場から反対したという事実は否定しさることはない。

控訴人もまたこれらの人々とともに日本の教育の荒廃を憂いたのである。控訴人は、これまでのすぐれた教育実践や組合活動、教育委員としての体験などから勤評に反対することが教師としてのとるべき行動だと決意するに至つたのである。

(二)  控訴人の主張の客観的妥当性、相当性

一般的にいつて主観的評定項目に基く評定が極めて困難であり、妥当性に乏しいものであり、さらに教師を対象とするものであるが故にその職務の特性上ますます困難な、極言すれば不可能を強いるものであり、かかる事実上不可能に近い評定をすることは、教師のモラルを低下させるので、それ自体教育者の良心に反した。また、主観的評定項目は、教育実践に直接、間接むけられたものが多かつたので、本来教育は自由に、しかも創意と創造のもとに行わるべきものである筈なのに、教師は評定される結果、勢い校長の意を体する傾向を助長し、形式主義と表面だけの教育熱心を招来し、教育の低下をもたらす。

以上の欠陥は、総評と相俟つて一層助長される。総評は、相互協力、集団的教育という学校教育の本質に反し、個々の教師に段階をつけるものであるから、それは競争をもたらし、自ら教師相互間の協力関係を低下せざるをえない。さらに総評は、校長と教師という相互信頼関係のなかに、評定者、被評定者の関係をもちこみ、相互の信頼を低下させ、本来あるべき校長のもつ教育者としての役割りを著しく低下させるものであり、教育者としての校長の使命を失わさせることになる。

秘密主義は、また右に述べた欠陥をますます拡大し、致命的なものにならざるをえない。勤評が秘密性を保持することは、教師に対する支配のために有効であつても、教育のために多大の幣害をもたらす。秘密のため、如何に評定されているかわからず、そのための不安と動揺は、前に述べた欠陥を一層拡大し、職場を暗いものとする。逆に本人に対する内示と救済制度の設置は、教師に対する勤評の幣害を除去するうえで不可欠の要素であり、ユネスコ勧告がそれを必要とするのもそのためである。

各県の指摘する問題点もまたこの点に集中していたし、被控訴人の人選した学識経験者、都下四町の教育委員会の統一見解、日本教育学界の批判、北区校長会の見解もいずれも概ね前記控訴人の主張と一致していた。

(三)  控訴人の行動の相当性

控訴人は、本件勤評には全面的に反対であつたにもかかわらず、校長という立場をも考慮し、教育を守るためにどうしても譲ることのできない最少限度の修正を求める立場に立つて行動した。しかも第一年度においては、あえて提出拒否に踏みきることなく、被控訴人の教育長に修正する意見があるか見解を問いただし、教育長が再検討を約したため提出するに至つた。にもかかわらず、被控訴人は、第二年度においても自らが選んだ学識経験者の修正意見すら基本的に採用することなく、勤務を単に部分的技術的に、形式的に修正するに止まつた。かくて控訴人としてはやむなく勤評義務不存在確認訴訟を提起し、裁判所の判断に委ねようとしたのである。控訴人としては教育者の良心を最少限度守りぬきながら慎重に配慮して行動したのであつて、この点については十分評価しなければならない。

(四)  校長の地位の特殊性

教育委員会と校長とは、本来対等な機関相互間の関係にある。右両者の関係は、戦前においては「学校長ハ地方長官ノ命ヲ承ケ校務ヲ掌理シ、所属職員ヲ監督ス」(国民学校令第一六条)とされていたのを戦後の教育改革は、教育行政による教育の支配を排除するため、学校教育法は、校長の職務を規定するに当りわざわざ「命ヲ承ケ」を削除し、「校長は校務を掌り、所属職員を監督する。」と定めて、校長が教育委員会と上下関係にないことを明確にした。校長は、教育行政の担い手でもありながら、教育委員会の下僚として忠実に動くのではなく、むしろ学校を代表し、学校現場への不当な行政の介入を排除する責務すら有するに至つたのである。従つて教育委員会がその行政事務を校長に委ねるのは、対等、独立の機関相互間の機関委任事務ともいうべきである。

かような対等の関係にある校長には、その自主的な立場に立つて判断できる筈であつて、その判断に誤りがあり、それ故に正当な命令に違反したとしても、単なる上下関係にある場合と異なり、それが故に懲戒免職処分とされるような重大な非違となるものではない。

2、本件職務命令違反は、その性質上懲戒処分をもつて臨むに価いしない場合に当る。

(一)  公務員の懲戒免職処分は、当該公務員の非違を理由として、その地位と権利を全面的に剥奪する極刑であるから、当該公務員の非違行為の重大性から評価して、公務員としての地位にとどめることが許されないような場合に限られる。教育公務員についていえば、その非違行為からみて、教育を担当する者としては許されないと判断される場合に限られることになる。一般行政職の場合には上司の命に服しないことは、そのことのみをもつて直ちに行政の一体性を乱し、行政の秩序保持に反するものとして、公務員にふさわしくないとの判断に到達できるかもしれない。しかし教育公務員の場合、すでに述べたように、教育行政による教育の支配は本来的に許されないのであつて、教育権独立の理論を採用しない立場に立つても、教育行政の教育への介入は自制すべきであるとの原則は少くとも承認されているのであるから、教育行政上の命令不服従をもつて教師の職を奪うことを安易に認めるならば、教育行政による教育の権力的支配を安易に可能ならしめてしまう。従つて教師に対しては、教育行政面における義務違反のみをもつてその職を奪うことは、原則として許さるべきではない。校長についても同様に考えるべきである。そして校長からの降任という分限処分ないしは免職以外の懲戒処分を採用しうるにとどまる。校長は、本来的には教師であり、教育者である。その故に行政職の者には本来委ねえない、学校という教育現場の、その集団の長としての管理が委ねられているのである。従つて校長を管理者として、ないしは教育行政の末端にある者として位置づけて理解したところで、校長が教師であるという、その本来的な属性を否定することはできない。

被控訴人の主張によれば、本件勤務評定は教員の人事管理上必要なのであり、教育の支配、統制を意図するものではないというのであるから、本件勤評実施は、教育行政上の必要性に出たものであることになり、控訴人がその実施をなさなかつたことは、教育行政面での不服従という事実を生じても、そのことをもつて教師としての地位まで奪う極刑を科するに足りる論拠にはならない。

(二)  本件処分がこのような極刑をもつてなされたのは、教育行政の運営上の必要に出たものではなく、不純な意図、即ち不当な見せしめの意図をもつてなされたものである。その意図の不純性は、全国的にかなりの校長が勤評の提出を拒否して抵抗したが、一回の不提出で校長から一般教員に降任されたケースはあつても、懲戒免職になつた者は全くなかつたのをみても、明らかである。

被控訴代理人は、次のとおり述べた。

一、教育基本法の性格および同法第一〇条第二項について

1、教育基本法の性格

教育基本法は、その前文に示す如く、教育の目的即ち教育の理念を明らかにした教育宜言である。元来教育の目的とか理念というべきものは、哲学、宗教、道徳、科学の分野に属し、法の関与の外にあるべきものであつて、立法者が法律の形式をもつて公定するに親しまないものである。従つて教育基本法は、教育に関する国の立法政策の方針を抽象的に宣言したものというべきであつて、法律の形式を採つていても、国民相互間または国民と国家との間の関係を規律するいわゆる実質的意味における法律ということはできない。

教育基本法は、その立法の形式はあくまでも国会の議決によつて制定された法律であり、憲法の条項とは異なり、他の法律と同位の国法形式に属する。従つて他に国家の議決によつて制定された教育に関する法律が存する場合、その法律と教育基本法との間には形式上優劣の差は存しない。もし教育基本法の条項に実質的意味における法律としての意義効力を肯定できるとしても、これと矛盾牴触する他の法律との関係は、「後法は前法を廃する。」、「特別法は一般法を廃する。」等の原則によつて律せられることになるのであつて、教育基本法の条項に他の法律の効力を否定するような憲法類似の効力を認めることはできない。

2、教育基本法第一〇条第二項について

教育基本法第一〇条第二項は、「必要な条件」とのみ規定しており、教育の内的事項に関するものを除外する旨の規定は存しないのであるから、教育の内的事項に関するものであつても、教育目的遂行に必要な限り、条件整備の確立を図ることは当然許されるところである。従つて同項にいう「教育目的を遂行するに必要な諸条件の整備」には、学校の組織編成、教育の課程、学習指導、生徒指導および職業指導に関することや教科書その他教材に関することを管理し、遂行することが含まれており、教育の内容や教育指導等の内的事項の管理が地方教育行政機関たる教育委員会の権限に属することは、教育基本法制定当時から立案作業をすすめ、昭和二三年七月一五日制定された教育委員会法第四九条第三・四号第七号およびこれを承継した地教行法第二三条第五・六号に明定されるところである。

教育の自由化や教権の独立の語義は、これを教師の教育活動の完全な自由とか、教師の教育権の無制約の独立を意味するものでないことは明らかである。しかしながら教育は、教師と被教育者間の、いわば魂の触れ合いによつて行なわれなければならないことはいうまでもなく、そのためには直接教育活動を担当する教師の自発的な創意工夫といきいきとした熱意と愛情に溢れた活動が不可欠である。これがため教育行政機関の教育内容についての規制もいわゆる権力行政的形態をとることを極力回避して、指導行政の形で進められることが好ましい。教育基本法制定前後に文部省関係者が断片的に、教育内容に介入しないとか、教育行政の任務の限界等の表現を使用して説明しているのは、右の如き意味を表象したにほかならない。

二、教師の勤務評定と教育基本法第一〇条

控訴人は、本件勤評規則によつて勤務評定をすることは、教育行政機関たる被控訴人が教員の教育活動を支配し、規制することになるから、教育基本法第一〇条に違反し、許されないと主張するが、右主張は、以下に述べる如く理由がない。

1、まず、教育基本法は、すでに一の(一)において述べた如く、教育の理念の宣言ないしは国の教育政策の方針の宜言にほかならず、実質的意味における法律ではないから、本件規則が同法第一〇条に牴触するか否かを論ずることは無意味である。

2、仮りに実質的意味における法律としての効力を有するものとしても、教師の教育活動について勤務評定をすることは、同条第二項にいう教育目的遂行に必要な人的条件の整備確立にほかならないものであるから、当然許されるものである。

控訴人は、教育行政機関の教育の内的事項に対する関与は、指導助言にとどめるべきだと主張するが、教育委員会が学校等の教育機関ないし教師に対し適切な指導助言を与えるには、その前提として指導の対象となる個々の教師の現実の教育活動を観察し、これを把握しなければ不可能なことである。

控訴人は、さらに本件勤務評定は、教師をして評定者たる校長の意にそうような教育活動を強いることとなると主張するが、校長には学校教育法第二八条第三項により所属職員を監督する職務があり、また所属職員に適切な指導助言を与えるためにも、少くとも所属職員の勤務の状況を、その教師としての本来の任務である教育活動の面にわたつて観察し、適切な指導助言によつて教育効果を高めるべき立場にあり、さらに人事管理のうえにおいても、地教行法第三九条により所属教職員の任免その他の進退に関する意見を区市町村教育委員会に申し出る権限を有するのであるから、勤務評定に当り校長をして第一次評定を行わしめることは、最も妥当な方法というべきである。またその直接の職務上の上司である区市町村教育委員会の教育長は、管内の学校の校長の人物、性格、能力、識見等につきこれを最も熟知しており、本件勤務評定規則は、右教育長をして校長の行つた勤務評定の結果を調整(第二次評定)せしめることとしているのであるから、特定の校長の特定の勤務評定の結果により個々の教師が人事上の不利益を蒙る危険は殆んど考えられず、控訴人の主張は杞憂にすぎない。

3、さらに勤務評定をすることが同条同項に含まれないとしても、教育基本法制定後に制定された地方公法第四〇条、地教行法第四六条は、教育委員会が教員の勤務成績を評定すべき旨を定めており、しかも公立小、中学校教員の主要な職務は、児童生徒に義務教育を施す教育活動に在ることが明らかであるから、教員の勤務成績の評定は、その教育活動そのものの成績評定を主体とすべきことは理の当然であり、右地公法、地教行法の各規定は、教員の教員活動を含めてその勤務評定をなすべきことを要求するものであつて、前法であり、かつ一般法たる教育基本法第一〇条は、後法であり、かつ特別法である右地公法および地教行法の規定により、右の限度で効力を失つたものというべきである。従つて右地公法および地教行法の規定に基づいて被控訴人が定めた本件勤評規則は、教育基本法第一〇条とかかわりなく有効であり、控訴人は、同規則に基づき区立小学校長として所属職員の勤務評定をすべき職務上の義務を負うことは明らかといわなければならない。

三、懲戒権の濫用の主張に対する反論

1、控訴人は、教育公務員に対して懲戒免職処分をするためには、非違行為が教育者としての適格性をも否定しよる場合に限られるところ、控訴人の行動は、教育行政面での不服従であり、校長としては不適格であるとしても、教師としての適格性を疑わしめるものでないと主張する。

しかしながら、控訴人の右主張は、懲戒と分限の本質の差異を看過したことに基く誤つた主張である。即ち、分限においては、公務員の職務遂行上必要な適格性が問題とされ、かかる適格性に関する欠陥が矯正改善することのできない状態に至つた場合、分限免職をすべきものであるのに反し、懲戒においては、公務員の遵守すべき服務規律等に関する義務違反ないし非違が問題とされ、その行為の責任が重大な場合に懲戒免職をすべきものである。従つて教育を担当する適格性のある教職員といえども、重大な義務違反行為をなした場合には、懲戒免職にすることが当然認められるのである。なお、控訴人が本件行動の動機として主張する控訴人の教育者としての良心は、主観に偏した一方的見解に基くものであるし、本件行動が社会全般、教育行政秩序に及ぼす影響の重大性、他の校長に対する心理的効果等を考慮すれば、決して節度ある行動とは認め難い。

2、控訴人は、教育委員会と校長とは対等な機関相互間の関係であるから、校長は、その自主的な立場に立つて判断でき、その判断に誤りがあり、それ故に正当な職務命令に反しても、懲戒免職とされるような重大な非違となるものではないとして、本件行動についての事情を縷々主張するが、次の理由により右主張は失当である。

(一)  公務員は職務上の上司が発した違法な職務命令に対しては、命令権限ある上司の発したものでないとか、命令事項が明白に受命公務員の職務権限内の事務に属さないとか、適法な手段、形式で発せられていないとかなどのように、命令自体が形式的要件を欠いたり、不能の事項を命じている場合を除いては、服従する義務があり、受命公務員は、その内容が違法なりとの自己の見解に基づいて、これを拒否することはできない。

ところで教育委員会と校長との関係が本件勤評規則およびこれに基く職務命令につき、上命下服の関係にあり、決して対等な機関相互の関係ではない。

(二)  控訴人は、よりによつて勤評に関する報告書の提出期限の前日である昭和三四年九月一四日に至り、勤評義務不存在確認訴訟を提起したうえ、かたくなにも爾後裁判所の判断がなされるまで右報告書を提出しないとの態度を堅持したのである。このような態度が何等相当な事情とは認められないことはいうまでもない。

(三)  控訴人は、勤務評定書を提出しなかつた理由として、特に問題のある諸点の改善を求めていたにすぎないと主張するが、仮りにそうだとしても、控訴人の如く報告書の提出をかたくなに拒否するような態度をとつたことは、到底許さるべきではない。

(四)  控訴人は、勤務評定を提出しなかつたのは、本件勤評規則が違法であると判断し、右判断は、当時の教育学界および教育現場の有力な見解に基くものであるから、不穏当なものではないと主張するが、かかる主張の誤りであることが、すでに述べたとおりであり、当時勤評に強力に反対していた日教組やこれと同調した見解をもつていた一部の学者の考え方を教育界の有力な見解として信奉したうえ、提出拒否の行動に出たことは、公務員であり、教職員の指導監督という重職にある控訴人の到底とるべき態度ではなく、右の主張は何ら本件行動に対する弁明にもならない。

(証拠省略)

理由

一、本件懲戒処分の成立、本件勤務評定規則および勤務評定実施要領の制度的意義ならびにその制定経過、右規則に基く勤務評定の方法についての当裁判所の認定は、次のとおり付加、訂正もしくは削除するほか、原判決理由の説示(原判決三〇枚目表二行目より三七枚目裏六行目「かように認められる。」まで)と同一であるから、ここにこれを引用する。

(1)  原判決三三枚目裏六行目冒頭から三四枚目表六行目「るとともに、」までを削る。

(2)  原判決三四枚目表六行目「同年二月」を「昭和三一年二月」と訂正し、同八行目「かねて検討してきた」を削る。

(3)  原判決三四枚目裏末尾「勤務評定制度」を「勤務評定規則」と訂正し、同三五枚目表一行目冒頭「が施行され、」の次に「右規則の委任による勤務評定実施要領(昭和三三年四月二三日教職発第四一号教育長通達)、」を加える。

(4)  原判決三五枚目表一〇行目および末行「規定規則」の次にそれぞれ「勤務評定実施要領」を加える。

二、職務命令の拘束力

1、本件勤務評定規則は、教育委員会規則の形式をとつているけれども、その内容は、所定の学校職員の勤務成績の評定に関する事務処理に関する規定であつて、一般都民はもとより前記職員と都との権利義務に関する事項について定めたものではないから、法規命令の性質を有せず、いわゆる行政規則と解するのが相当である。従つて右規則は、教育長通達である勤務評定実施要領とともに、上級行政機関の下級行政機関に対する命令、即ち訓令であつて、同時に職務命令としての性質をも持つているものということができる。

2、行政事務に従事する公務員は、上下の命令服従関係を構成して、一体として行政目的を追求すべき関係にあるから(小学校の校長といえども少くとも教育行政の執行については、別異に解すべきでないことは、後記のとおり。)、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。そして行政の統一性能率性と公務員関係の秩序維持の見地から、職務命令は、一応適法の推定を受け、受命公務員を拘束する力を有するものと解すべきである。ただ、職務命令は、発令者が職務上の上司であること、受命者の職務に関するものであること、その内容が法規に牴触しないことの要件を具備することを要するところ、これらの要件の欠缺が重大かつ明白な場合には、即ち職務命令が無効の場合には、かかる職務命令は拘束力を有せず、受命公務員は、自ら職務命令の無効を判断することができ、これに服することを要しない。従つて職務命令の内容についてもその形式についてと同じく、受命公務員は、単にその内容が法律上不能を命ずる場合に限らず、その他の重大かつ明白な瑕疵を理由に、その無効を判断することができるものといわなければならない。被控訴人は、受命公務員が職務命令を拒否しうるのは、職務命令が形式的要件を欠く場合に限られ、その内容を実質的に審査する権限を有しない、と主張するが、職務命令の内容が法規に違反していることが客観的に明白であることは異例に属するにしても、右法規違反の瑕疵が重大かつ明白な場合においても、なお、法令の解釈および事実の認定は一まず上級機関のそれが優先すべきものとして、かかる職務命令にも拘束力を認め、受命公務員に審査権を認めないことは、前記行政の統一性能率性および公務員関係の秩序維持の見地からしても、その必要性ならびに合理的理由を見出し難い。従つて被控訴人の右主張は採用し難い。

3  この点について控訴人は、職務命令に公定力を認め、法治主義の原則を侵してまで行政の統一性能率性を保障しようとするのは本末転倒である、即ち、法令服従義務は、憲法の原理である法治主義に基く義務であり、憲法的価値に奉仕する義務であるが、一方職務命令服従義務は、行政的価値に奉仕する義務であり、その間の優劣は自ら明らかであるに拘らず、職務命令に公定力を認める考え方は、職務命令が違法であるが、無効ではない場合に、受命公務員に実質的審査権を認めず、違法な職務命令に服従すべきだとするものであつて、職務命令服従義務を優位におくことにほかならない、と主張する。しかしながら、職務命令について前記のとおり公定力を認めても、職務命令に基いてなした公務員の行為(即ち国または地方公共団体の行為)がすべて適法有効な行為となしえないことは当然であつて、内容が違法な職務命令に基いてなされたときは、その行為は違法となり、それにより権利利益を侵害された国民は、行政処分の取消あるいは損害賠償請求等救済を求めうるのであつて、この意味において法治主義の原則は貫かれているのである。ただ職務命令の発令者と受命公務員との関係においては、前記の如く行政の統一性、能率性、公務員関係の秩序維持の要請から職務命令に公定力が認められ、それが無効でない限り違法であつても服従すべきものとされるのであるが、行政処分に公定力が認められ、違法な処分であつても出訴期間等の一定の除斥期間を経過した後は、もはやその効力を争うことが許されない不可争力が認められているのと考え方を一にするのであつて、このことをもつて法治主義の原則に反するものということはできない。

控訴人は、行政行為の公定力とは、違法な行政行為(無効の場合は別として)の正当な権限を有する機関による取消のあるまでは、一応適法の推定を受ける効力をいうものとされているところ、違法な職務命令は、司法審査の対象となることがないから、常に確定的効力が与えられることになるのであるが、職務命令にかかる強い効力を認むべき実定法上の規定もなく、またその合理性、必要性もない、と主張する。しかし、職務命令違反を理由とする懲戒処分等の不利益処分の取消しを求める訴訟において取消しの対象は不利益処分自体であつて、職務命令の適法か否かは訴えの対象となつているものではない。また、職務命令は、行政の内部行為であつて直接には何人の権利利益をも侵害することは考えられないので、司法審査の対象となることはなく、従つて違法な職務命令であつても、発令者により取り消されない限り、裁判所により取り消されることがないため、公定力による適法の推定がうち切られることなく当初から継続しているにすぎないのであつて、特に一般行政行為の公定力よりも強い効力が認められているわけではない。

控訴人は、さらに職務命令の公定力を認めなくとも、行政の統一性能率性にはそれ程大きな影響がないと主張する。仮りに受命公務員に職務命令の適法性につき実質的審査権が認められても、控訴人の主張する如く、命令拒否は余りおこりえないことは考えられるにしても、また任命権者は職務命令の実現をはかるためには控訴人主張の如き措置をとりうるにしても、上級機関が下級機関と異なる見解をもつている場合には、常に、上級機関は下級機関の協働なしに直接自ら事務を遂行し、あるいは下級機関の命令拒否を予想してその対応策を講じておかなければならなくなるのであつて、かくては行政の統一性能率性および公務員関係の秩序維持に影響するところがないということはできない。

三、そこで右の観点に立つて、本件勤務評定規則、勤務評定実施要領および昭和三四年九月一六日付職務命令(以下本件職務命令という。)の前記要件の重大かつ明白な欠缺の有無について判断する。

1、被控訴人の東京都区立学校教員に対する勤務評定の実施権の有無

地公法第四〇条第一項は、「任命権者は職員の執務について定期的に勤務成績の評定を行い、その評定結果に応じた措置をとらなければならない。」と定めているが、地教行法第四六条は、「県費負担教職員の勤務成績の評定は、地方公務員法第四十条第一項の規定にかかわらず、都道府県教育委員会の計画の下に、市町村教育委員会が行うものとする。」と規定する。県費負担教職員は、市町村立学校の教職員であるから、その身分は市町村に属し、市町村教育委員会が原則としてその人事権を管理するのであるが(学校教育法第五条地教行法第三二条)人事権のうち任命権は、都道府県教育委員会に属せしめられ(同法第三七条第一項)、市町村教育委員会は、服務の監督(同法第四三条)、研修(同法第四五条)を行うこととして人事権の管理、執行を分担せしめている。これに対応してその勤務成績の評定についても、任命権者である都道府県教育委員会は評定の計画を定めるにとどめ、この計画の下にその服務を監督する市町村教育委員会が(団体事務の管理、執行として)評定を実施するのを適当としたから、地教行法第四六条の特例が規定されたと解すべきである。

ところで同法第二条は、教育委員会の置かれる市町村の市には特別区を含むとしている。しかしながら同条は、単に特別区にも市と同じく教育委員会を置く旨を定めたにとどまり、特別区教育委員会の職務権限が市教育委員会のそれと同一であるか否かについては何ら触れていないから、同条を根拠に直ちに両教育委員会の職務権限の同一を論ずることはできず、この点については別途検討しなければならない。教育委員会の職務権限については、同法第二三条は、「教育委員会は、当該地方公共団体が処理する教育に関する事務及び法律又はこれに基く政令によりその権限に属する事務で、次の各号に掲げるものを管理し、及び処理する。」と規定する。これによれば特別区教育委員会の職務権限は、特別区が処理する教育に関する事務(団体事務)および同委員会の機関委任事務である。特別区は、法制上は市に準ずる地位を認められながら、実質的には大都市の構成団体として、全体として一つの大都市を形成している実体に鑑み、大都市の実態に即応した行政の一体性を考慮して、本来市の事務に属するものの多くが法令で都の事務として処理することが認められている。この意味において特別区は、市と趣を異にするところが少くなく、特別区の存する区域においては、都が同時に市の性格を併有し、基礎的地方公共団体としての役割を有しているということができる。特別区の団体事務については、地方自治法(昭和三九年法律第一六九号による改正以前の法律、以下旧自治法という。)第二八一条第二項は、特別区の処理する事務を掲げ、その第一号に「小学校、中学校、幼稚園及び各種学校を設置し及び管理し並びにこれらに関する教育事務を管理し及び執行すること。但し、教育職員の任用その他の身分取扱、教育課程、教材の取扱、教科用図書の採択その他政令で定めるものを除く。」と規定し、同条第四項は、「第二項の規定により特別区に属するものを除く外、特別区の存する区域においては、法律又はこれに基く政令の規定により市が処理しなければならない事務は、都がこれを処理する。」と定め、前記特別区の実質的性格に鑑み、教育に関する事務のうち、教育職員の任用その他の身分取扱いは、特別区が処理せず、都がこれを処理することとし、従つて都教育委員会がこれを管理し、執行することとしている。そして右にいう「教育職員の任用その他の身分取扱」とは、地方自治法第一七二条第四項に規定する「職員に関する任用、職階制、給与、勤務時間その他の勤務条件、分限及び懲戒、服務、研修及び勤務成績の評定、福祉及び利益の保護その他身分取扱」(地公法第一条も同様の規定をしている。)と同意義であつて、ただ表現を簡略にしたにすぎないものと解すべく、従つて教育職員の人事に関する取扱い一切を総称するものと解されるから(地教行法第二三条第三号も教育委員会の職務権限として、「職員の任免その他の人事に関すること」と規定する。)区立学校の教職員の勤務成績の評定は、その服務の監督とともに、「身分取扱」の一として、特別区の団体事務に属さず、都がこれを処理し、都教育委員会の職務権限に属するものというべきである。なお、地教行法第五九条は、昭和三九年法律第一六九号により改正され、地方自治法第二八一条第二項第一号の規定に対応して都教育委員会の職務権限に関する規定がおかれたが、右規定は、前記都の団体事務より当然都教育委員会が管理し、執行すべき事項を特に明らかにしたものにすぎず、この規定によりはじめて都教育委員会の職務権限に属することとなつたものではない。してみれば、特別区教育委員会は、市教育委員会とは職務権限を異にし、地教行法第四六条の特例規定は適用されず、いずれの点よりするも県費負担教職員の勤務成績の評定実施の職務権限を有しないといわなければならない。

控訴人は、地方自治法の教育に関する特例法としての地教行法は、第四六条の規定により勤務成績の評定についての実施権限を市町村教育委員会に与えているから、特別区教育委員会も同じくその権限を有するというべきである、と主張する。しかしながら前叙の如く、地教行法第四六条は、市町村教育委員会の職務権限につき規定したものであつて、特別区教育委員会のそれにつき規定したものではないから、同条が旧自治法第二八一条第二項第一号ただし書の特別規定には当るか否かを論ずるまでもなく、控訴人の右主張は理由がない。

2  評定者として所属職員の勤務成績を評定することは、校長の職務権限の範囲内の事項か、

本件勤務評定規則および勤務評定実施要領においては、区立学校の教職員(校長を除く。)の勤務成績の評定については校長が評定者として所定の事項を記入し評定した勤務評定書を提出するものとしているが、右は、被控訴人が実施権者として区立学校の教職員(校長を除く。)の勤務成績の評定を行うに当り、校長にその事務の一部を補助執行すべきことを命じているものと解するのが相当である。

ところで校長の職務については、学校教育法第二八条第三項は、「校長は、校務を掌り、所属職員を監督する。」と規定する。公立学校の校長は、営造物たる学校の現場管理者として、教育管理、組織管理、物的管理およびこれらの事務を直接担当する教職員についてその職務上の監督をする職務、―右にいう「校務を掌る。」―を有し、さらにこれら教職員の服務を監督する職務を有する。前記法条は、学校管理者として校長が当然有する職務を一般的に規定したものというべきである。

校長は、そのほか、法令の規定により個別的に授権された権限(たとえば教職員の人事の意見申出ー地教行法第三九条)学校管理規則(地教行法第三三条参照)に規定された権限のほか、教育委員会、教育長より委任された権限(同法第二六条第一、二項)を有する。以上のとおり、校長は、その所属教職員の職務上(直接教育活動に関する事項は暫く措くとして)および身分上(服務上)の監督権限を有し、そのため常時教職員に接し、その勤務状況を観察し、勤務実態の把握に努むべき職責を有するのであるから、一般的には教職員の勤務成績の評定の事務を補助することは、当然その職務の範囲内に属するものということができる。

控訴人は、本件勤務評定規則および勤務評定実施要領は教員の教育活動にわたる事項についての評定を中心部分としているところ、校長の職務には教育課程管理に関する事項は含まれていないから、本件勤務評定規則等に基いて所属教職員の勤務成績の評定を行うことは、校長の職務の範囲外のものである、と主張する。控訴人の右主張するところは、要するに本件勤務評定規則等の内容の違法をいうに帰するところ、ここにいう受命公務員の職務の範囲とは、通常の意味での職務を意味し、公務員は違法な行為をなす職務権限を与えられていないから、内容的に違法な行為は職務権限の外であるということを意味しているのではない。従つて控訴人の右主張は理由がない。

被控訴人が、区立学校について、その教職員の人事に関する一切の職務権限を有することは、前に認定したとおりであつて、校長がその所属教職員に対する人事上の管理権限を行使するに当つては、当然被控訴人の指揮監督を受ける関係にあるものといわなければならない。従つて被控訴人が右所掌事務について職務上の指揮監督権者として、区立学校の校長に対し、本件勤務評定規則に定めるような評定者たるべきことを指示して、その所属職員の勤務成績の評定の事務を分担させることができるものといわなければならない。

よつて本件勤務評定規則、勤務評定実施要領および本件職務命令は、その形式的要件に欠けるところがなく、仮りにその点に欠缺の瑕疵があつたとしても、少くとも右欠缺の瑕疵は重大かつ明白なものであつて、本件勤務評定規則を無効ならしめるものということはできない。

3  本件勤務評定規則、勤務評定実施要領および本件職務命令の内容の法令違反の有無

控訴人は、教員の教育活動にかかわる事項についての評定をその中心的部分とする本件勤務評定規則は、教育行政の限界を逸脱し、教師の教育権の独立を侵害するものであつて、教育基本法第一〇条に違反する、と主張し、被控訴人は、教育基本法第一〇条第二項は「必要な条件」とのみ規定し、特に内的事項を除外する旨の規定は存しないのであるから内的事項であつても、教育目的遂行に必要な限り、条件整備の確立を図ることは当然許されると解すべきであり、教員の教育活動について勤務評定をすることは、教育目的遂行に必要な人的条件の整備確立にほかならない、と主張する。

(一)  教育基本法は、いずれも成立に争いのない甲第一〇号証、同第一一号証の一、二、同第一二号証、乙第二八号証により認められるその成立の経緯に徴し、またその前文に謳つている如く、日本国憲法の精神に則つて教育の目的を明示して、新教育の基本を確立する趣旨で制定されたものであつて、その内容は、教育の目的のほか、右目的遂行の方針についての原則として、憲法の精神の教育における適用および民主主義教育に関する重要な教育政策を規定している。要するに同法の規定の大部分は、法規即ち権利義務を定めたというよりは、教育の理念および基本的政策を宣言したものであつて、その掲げる諸条項を実施するには、さらに具体的規定をもつた法令の確定をまたなければならない。そして同法も当然このことを予定している(第一一条)。従つて教育基本法は、一般教育関係諸法のいわば総則規定ともいうべき性格を有するのであるから、これら一般教育関係諸法の解釈運用に当つては、教育基本法の精神に合致する方向でなされなければならないことはいうまでもない。勿論、教育基本法といえども一般教育関係諸法と同位の法の形式をとつているのであるから、一般教育関係諸法に優越する法的効力を有するものとはいえないが、前叙の教育基本法の成立の経緯および立法趣旨よりして、後に制定された一般教育関係諸法が明らかに教育基本法を改廃しあるいはその適用を排除する趣旨で制定されたものでない限り、同法の掲げる諸条項を実施するために制定されたものというべきであるから、この意味において教育基本法については、後法は前法を破るとの一般原則を直ちに適用することはできないというべきである。

教育基本法第一〇条は、教育および教育行政のあり方一般を宣言するが、右は、公の機関に対しては立法や行政の基準を示しているにすぎず、これから直接何等かの法的効果を導き出すことはできないといわなければならない。ところで地公法第四〇条地教行法第四六条は、教職員の勤務成績の評定につき規定しているが、各規定それ自体は、如何なる内容をもつて評定を行うかについては全く触れていない。しかしながらこれらの法条は、教職員の勤務成績の評定の方法、内容は当然教育基本法第一〇条の精神にそつてなすべき旨を規定しているものと解釈し、運用すべく、従つて教職員の勤務成績の評定の実施権者が教育基本法第一〇条の精神に反する方法、内容の評定を実施し、あるいはそのような評定をなすべき旨の職務命令を出すときは、右行為は、直接地公法第四〇条地教行法第四六条の規定に違反するものとして、その法的効力が検討されなければならない。

(二)  教育基本法第一〇条第二項の解釈については、根本的には「教師の教育権の独立」を前提として、教育行政は、教育内容以外の、つまり教育内容を実現するための外的諸条件を整備確立することを任務とし、教育内容へ介入してはならないとの原則をうちたてたものであり、教育内容への権力的介入は、大綱的基準立法の範囲にとどめ、その余は指導助言によるべきだとする控訴人主張の如き解釈と、同項は、教育行政権について特に教育の内的事項に関するものを除外する旨を規定していないから、教育目的遂行に必要な限り、条件整備の確立を図ることは当然許されるとする前記被控訴人主張の如き解釈が対立し、その折衷説又は中間説として数多の解釈論がなされ、いまだ定説をみない状態である。

教育が良心の本源的権利に発しているものと考えるべきものであり、従つて学校における教育は両親の委託によるものであり(委託を受ける者が誰であるかはともかくとして)、両親の教育の補充または延長と考えるならば、教育は、個人的従つて私的性質をもつていることを否定することはできない。元来教育は、教育者と被教育者との間の、人格的接触の関係であり、それが文化的創造の一種である点において本質的に自由な活動であるというべきである。しかしながら教育自体の性質と教育の一分野である学校教育自体の性質とは区別して考えなければならないのであつて、教育自体は私的なものであつても、それが学校という特別の施設によつて行われる場合には、その教育(公教育)および学校は公的性質をもつものである(教育基本法第六条第一項参照)。学校教育事業が公共性をもつものであるとすれば、それは全くの自由、法的無制約に放任されるべきものではなく、従つて、教授の自由が認められている大学教育は別として、下級教育機関で行われる普通教育については、その内容、方法(いわゆる内的事項)についても一定の規格が定められなければならない。即ち、右教育の内容、方法についても公教育の本質ならびに普通教育の特質に鑑み、法的拘束力をもつた必要最小限度の基準が定立されなければならないのであつて、教育行政が右基準の執行をなすことは諸条件の整備確立として同条の予定するところといわなければならない。そして右にいう必要最小限度の基準の具体的範囲ないし限界を一般的に確定することは現在の日本の教育科学の状況下では不可能に近く、個々的に前記公教育の本質ならびに普通教育の特質に照応して定められなければならないというほかないが、右基準は、少くとも、教科と時間配当、教科、科目、授業時数、単位数もしくはごく大綱的な基準に尽きるものではないと考えるのが相当である。

ところで教員の勤務成績の評定は、教員の教育活動を観察、評定の対象とするものであつても、これにより教育行政が教員の教育活動に直接介入するものとはいえないが、それが被評定者を心理的に拘束し、ひいてはその教育活動に間接的に影響を及ぼす可能性のあることも考えられ、従つて教職員の勤務成績の評定の内容、方法如何によつては、行政権の限界を超え、教育基本法第一〇条の精神に反することもありうるものといわなければならない。しかし本件勤務評定規則および勤務評定実施要領に基く勤務成績の評定の内容、方法は、さきにみたとおりであるが、以上述べたところよりすれば、全体的に見てこれが前記行政権の限界を超え、教育基本法第一〇条の精神に違反し、その結果地公法第四〇条地教行法第四六条の規定に違反することが客観的に明白であるということはできないものと考える。従つて本件勤務評定規則等の内容が客観的明白に法令に違反するものとは認められない。

(三)  控訴人は、本件勤務評定規則が評定結果について秘密性を保持し、異議の申立を認めないことおよび人事院規則に定められているような「試験的実施」、「多頭評価方式」を採用せず、また「職務遂行の基準に照らして評定」するものとする条件を充たしていないことを瑕疵として主張するが、いずれも当、不当の問題にすぎず、これにより本件勤務評定規則を当然無効ならしめるものではない。

控訴人は、教員の勤務成績の評定は、政府がこれにより教員を直接的に支配、統制し、もつて教育の支配、統制を図らうとする不当な政治的意図に基いてなしたものである、と主張し、原審証人宗像誠也、同深山正光、同金沢嘉市、当審証人鈴木英一の各証言は、控訴人の右主張に同調するものであるが、これらの証拠によつてはいまだ控訴人の右主張事実を認めるに足りないし、他にこれを認めうる証拠はないから、右主張は理由がない。

4、以上のとおり本件勤務評定規則および勤務評定実施要領ならびに本件職務命令は、その形式要件、実質要件ともに、重大かつ明白な欠缺は認められないから、その適法性は推定され、従つて控訴人は、これに服従する義務があるものといわなければならない。

四、懲戒事由の有無

控訴人は、本件勤務評定規則の定めるところにより、北区立堀船小学校の教職員の勤務成績の評定者として、昭和三四年九月一日を実施時期とする定期勤務評定書を同月一五日までに被控訴人の教育長または北区教育委員会教育長に提出すべき職務上の義務があり、被控訴人は、同月一六日に控訴人に対し、本件職務命令をもつて、あらためて右定期評定書提出の指示を与えたところ、控訴人は、これら職務命令に従うことを拒否したことは、すでに認定したとおりである。

よつて控訴人は、職務を怠り、上司の職務上の命令に忠実に従わなかつたのであり、これは地公法第三二条の規定に違反する非違行為であり、同法第二九条第一、二号に規定する懲戒事由に該当するものというべきである。

なお、被控訴人は、懲戒事由として、右のほか、被控訴人が控訴人に対し、同月一五日、二八日および同年一〇月二日の三回にわたり職務命令をもつて勤務評定書の提出を求めたが、いずれも控訴人が応じなかつたことをあげて主張するけれども、これを認めるに足る証拠はない。もつともいずれも成立に争いのない乙第七号証、同第一〇号証によれば、北区教育委員会教育長の守岡折三が控訴人に対し、同年九月一五日、二八日の二度にわたつて、勤務評定書の提出を要請したことが認められるけれども、同教育長が控訴人に対し勤務評定書の提出を命じうる職務上の上司ではなく、また右提出要請が被控訴人の控訴人に対する職務命令の執行として行われたものであることを認めるに足りる証拠はないから、被控訴人の右主張は理由がない。従つて被控訴人の主張する懲戒事由の一部が存在しないことになるが、このことをもつて本件懲戒処分が、その事実上の根拠が全くの誤認によるものであり、従つて全く事実の基礎を欠くものであるということはできない。

五、処分権濫用の主張について

控訴人は、(1)控訴人の職務命令違反の行動は教育者の良心に基いたものであつて、動機、目的において正当であり、その主張するところは教育界の支配的な見解をもとにしているものであり、客観的妥当性があり、またその行動自体も慎重に配慮した結果による極めて妥当なものである。(2)教育委員会と校長との関係は、対等な機関相互の関係にあるから、校長が自主的判断に基き職務命令に違反しても、上下関係にある場合と異なり、直ちに重大な非違となるものではない。(3)校長に対し、教育行政面における義務違反のみをもつて教員としての職を奪うことは許されず、校長からの降任という分限処分ないしは免職以外の懲戒処分を採用しうるにとどまる。(4)本件処分は不純な意図、即ち不当なみせしめの意図によるものである。との理由をあげて控訴人の行動に対して懲戒免職処分をもつてしたことは、著るしく裁量判断を誤つたものであつて、処分権の濫用にあたり、無効である、と主張する。

行政庁における公務員に対する懲戒処分は、所属公務員の勤務についての秩序を保持し、綱紀を粛正して公務員としての義務を全からしめるため、その者の職務上の義務違反等に対して科するいわゆる特別権力関係に基く行政監督作用であつて、懲戒処分の右のような趣旨、目的に照らして考えるときは、懲戒処分については、任命権者にある程度の裁量権は認められているけれども、もとよりその純然たる自由裁量に委ねられているものではない。すでにみたように本件懲戒処分が事実上の根拠に基づくものと認められる場合にあつても、任命権者が懲戒処分を発動するかどうか、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決定するに当つては、懲戒制度の上記目的と関係のない目的や動機に基いて処分をすることが許されないのは勿論、処分についての判断が合理性をもつ判断として許容される限度を超えた不当なものであるときは、裁量権の行使を誤つた違法のものであることを免れないというべきである。そして公務員の身分を保障している公務員関係諸法令の趣旨に鑑みると、免職処分を選ぶについては、特にその判断が厳密、慎重であることを要求されるものといわなければならない。

そこで以上の考え方のもとに、本件懲戒処分について控訴人の主張する如き処分権の濫用があるか否かについて判断する。

1、成立に争いのない乙第六号証の二、原審および当審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人の教育観、校長観は、民主教育の理念に基くものであり、なかでも校長と教員は、上下関係、命令関係ではなく、協力関係であり、校長は、教員の良き助言者であるとするものであつたこと、かかる教育観とそれに基くそれまでの教育実践からみて、控訴人は、本件勤務評定規則、勤務評定実施要領に基く教員に対する勤務成績の評定は、教育を破壊し、控訴人の考える校長としてのあり方に矛盾するものであつて、従つて右勤務成績の評定は実施すべきものでなく、校長の勤務成績の評定義務については法律上疑問があると判断したこと、その理由とするところは、(1)本件勤務評定規則等による評定項目には主観的評定項目が多く、それ自体客観的、妥当な評定を困難にするのみならず、評定される教員が勢い校長の意を体する傾向を助長するようになり、かくては自由な創造的意気を破壊し、ひいては教育を低下させる、(2)右の傾向は、「総評」とあいまつて助長させる、(3)評定結果の本人に対する内示と救済制度は、教員に対する勤務成績の評定制度の幣害除去のための不可欠の要素であるにも拘らず、これらを欠いている、というにあること、が認められる。また、いずれも弁論の全趣旨により成立が認められる甲第五号証、同第七号証、同第二〇号証、同第二五号証の一、二(原本の存在とも)、同第三四号証、原審証人完像誠也、同深山正光、同早坂礼吾、当審証人鈴木英一の各証言を総合すれば、本件勤務成績の評定について日本教育学界およびその他の学者のなかにその政治性と反教育性、内容的技術的問題点を指摘して反対する意見があつたこと、東京都市町村教育委員会のなかにも本件勤務成績の評定に反対の意見を表明するものがあつたことが認められる。以上認定事実によれば、控訴人は、自己の教育観に基き本件勤務評定規則等による教職員の勤務成績の評定をなすべきでないと考え、校長に右評定義務ありとすることには法律上も義務があると確信していたものであり、またその所信は、ある程度客観性、合理性のあるものと認められる。従つて控訴人は、右所信に従つて、敢えて職務命令違反の行為に出たものということができる。しかしながら、公務員は、上司と見解を異にする場合、自己の所信(それがある程度客観性、合理性のあるものであつても)に基いて職務命令を拒否することは許されず、ただ単に不服の点につき意見を申述べることができるだけである。従つて前記認定の事実関係のもとにおいても、控訴人の職務命令違反の行為は、正当性を有するものとは認められない。

2  控訴人の職務命令を拒否するに至つた経緯についての当裁判所の認定は、原判決理由の説示(原判決四七枚目表九行目から四九枚目裏末行「証拠はない。」まで)と同一であるから、ここにこれを引用する。これによれば、控訴人は、上司に対し単に職務命令に反対する自己の見解を申述して、右命令を拒否する態度をとつたにとどまらず、その見解を外部に発表し、あるいは訴訟を提起する等により世論を喚起し、それを背景にして被控訴人に自己の見解を認めさせ、本件勤務成績の評定の実施を断念させようとしたものであつて、自己の信念に忠実であつたとはいえ公務員として職務命令に反する行為ではあるが止むを得ないもの(正当性がある)と解することはできない。もつとも原審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は第一年度(昭和三三年)においては敢えて勤務成績の評定書の提出拒否にふみきることなく、被控訴人の教育長に対し、修正をする意思の有無についての見解を問いただし、教育長が再検討を約したため提出したのであるが、第二年度においても単に部分的技術的な修正にとどまり、控訴人の意見は容れられなかつたため職務命令を拒否したことが認められ、右事実によれば、初年度は、自己の意見の採用されることを期待して勤務成績の評定をしたことについてはある程度行動の慎重さが認められるものの、第二年度において自己の意見が採用されないことが判明するや、他の適当な方法を求めて自説が採用されるよう努力することなく、前記認定の如き行動をとつたものであつて、控訴人の行動は公務員としては慎重な配慮による妥当なものということもできない。

3、教育委員会と校長との関係は対等な機関相互間の関係にあるものということはできない。少くとも教育行政事務の管理執行については、両者は上命下服の関係にあり、校長は教育委員会の指揮監督を受ける関係にあるというべきである。国民学校令第一六条は、「学校長ハ地方長官ノ命ヲ承ケ校務ヲ掌理シ所属職員ヲ監督ス」と規定しているが、同令の「国民学校職員ノ執行スル国ノ国民学校ニ関スル教育事務ハ地方長官之ヲ監督ス」(第四〇条)および「市町村長………ハ市町村………ニ属スル国ノ国民学校ニ関スル教育事務ヲ管掌シ国民学校ヲ管理ス」(第三七条)の一連の規定とあいまつて、同令は、校長および職員の行う教育事務と市町村に団体委任された教育事務、営造物たる学校の管理事務に分け、前者は国の事務として地方長官が監督し、校長が掌理することとし、後者は市町村長が管掌、管理することとした(なお、校長、教員が官吏とされたため、人事権は地方長官の権限に属した。)。ところで学校教育法第五条は、「学校の設置者は、その設置する学校を管理し、」と規定し、同法第三四条は、「公立又は私立の小学校は都道府県監督庁の所管に属する。」と規定されていたところ、右第三四条の規定は、昭和二三年法律第一七〇号(教育委員会法)により公立小学校が都道府県監督庁の所管に属すという部分が削除され、これにより、設置者の学校管理権は、原則として物的面にかぎらず人的面および運営面に及ぶことになつた(区立学校については地方自治法第二八一条第二項第一号の規定によりその大部分が都の団体事務とされていることは前記のとおり。)。従つて校長は、その所管に属する行政事務を処理するについては、教育委員会の下部機関として、その指揮監督を受けるのであつて(地教行法第二三条)、単に国民学校令第一六条の「地地方長官ノ命ヲ受ケ」というような規定がないからとの理由で校長を独立の機関の長ということはできない。

してみれば、教育委員会と校長との関係を対等、独立の機関相互間の関係と考え、教育委員会の職務命令に対して校長に相当の自主的判断権があることを前提として、校長の判断に誤りがあり、それ故正当な命令に違反したとしても、単なる上下関係にある場合と異なり、懲戒免職となるような重大な非違となるものではないとの控訴人の主張は理由がない。

4、控訴人は、校長は本来的には教育者であるから、校長に教育行政面での非違があつても、校長としての適格性を問題とし、分限処分として降任するならとも角、その非違が教育者としての側面でもふさわしくなく、重大な非違と評価されるに足るものでない限り、校長の教育行政面における非違のみをもつてしては、懲戒免職処分という教員としての地位すらも全面的に奪いさる制裁を科することはできない、と主張する。いうまでもなく、分限処分は、公務の能率の維持およびその適正な運営の確保の目的から、その職に必要な適格を欠く等主として公務員がその職務上の義務を十分に果しえない場合になされる処分であるのに対して、懲戒処分は、前記の如く、公務員の勤務の秩序を維持し、その義務を全からしめるため、義務違反等の非違行為に対して科する監督作用であつて、両者は、その目的、要件、効果を異にする。従つて非違行為をなした公務員に対してその責任を追求するに当つて、目的、要件を全く異にする分限処分をもつて代用することはできないものといわなければならない。そして公務員に懲戒処分の対象となる非違行為があつても、それが直ちに持続性のあるその性格等に基因するものであるとはいえないという意味において、直ちにその職に必要な適格性を欠くことの徴表であるとはいいえない場合もありうるとともに、逆に、その職に必要な適格性を有する公務員でも、その非違行為については懲戒責任を免れることはできないのである。本件懲戒処分においては、控訴人の校長としての適格性の有無はもとより、教育者、教員としての適格性の有無は、なんら問題とならなかつたものであるから、控訴人が教員としての適格性を有することを前提として、控訴人の本件非違行為に対しては少くとも降任の分限処分にとどむべきだとする控訴人の主張は、理由がない。

5、控訴人は、本件懲戒処分は、不純な意図、即ちみせしめの意図によるものである、と主張するが、原審証人辻田正己の証言によるも、本件懲戒処分が他への見せしめのために、懲戒処分をすべきでないにかかわらず敢えてなしたものであるとか、必要以上に重い処分を選択したものと認めるに足らず、他に右事実を認めるに足る証拠はない。また、全国でかなりの校長が勤務成績の評定書の提出を拒否したが、一回の不提出で懲戒免職処分を受けた者は控訴人以外にはないとしても、同じく勤務成績の評定書の不提出といつても、各人の動機、目的、行動の態様がすべて控訴人のそれと同一であるとは考えられず、他に例をみないとの一事をもつて本件懲戒処分を控訴人の主張する如き不純の意図によるとすることはできない。

6、してみれば、いずれの点よりするも、そして懲戒免職処分については特に厳密、慎重な判断が要求されていることを考慮しても、なお本件懲戒免職処分が裁量権の範囲をこえまたは処分権の濫用にあたるとの控訴人の主張は理由がないことに帰する。

六、以上の次第であるから、控訴人に対する本件懲戒免職処分にはこれを取り消すべき瑕疵を認めることができず、従つて右処分の取消を求める控訴人の本件請求は失当として棄却すべきである。

よつて右と同旨の原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、行政事件訴訟法第七条民事訴訟法第三八四条第一項第九五条第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 石田哲一 小林定人 関口文吉)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例